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いくらでも引けます

おれたちは理由にまみれて

そして結論にまみれて

 

通っていた小学校の隣にある日、スーパーマーケットが建った。

社会科見学の行き先はこれ幸いとばかりにそのスーパーに決まり、あまりの移動距離のなさにええっ、と驚いた。さまざまな都合と一致を垣間見て、なんだかなあ、と思った。予定通りに班行動をして当たり障りのない壁新聞などを仕上げ、そんなこともすぐに忘れてしまったけれど、こうして時折思い出す。

 

 

地域は狭く、わたしは幼く、それでも遠くへ行きたかった。無鉄砲になれない小さな人間は、そこにいる大きい人間がどこかへ連れ出してくれるだろうと期待するしかない。なまじ守られていることの楽さを知っていたわたしは安全圏を出たくない一心で、ぼんやりと待っていた。非日常の到来を。もたらされる思い出を。いつもの友人と一緒に、どこか知らないところへ行く。行きたいところなど大してなかった。ただ、知らないところ、ということに意味があるような気がしてならなかった。そして漠然とした期待がそこはかとなく裏切られた時、思いのほか悲しいことに気づく。つまんないなあ、と思っている自分がなんだか一番つまらない。

 

世界がつまんないのはいつだってわたしのせいだ。わかってはいたけれど、はみ出した子供になることはわたしにとって絶対悪だったから仕方ない。大きい人間たちの間にはなにやら敬うべき幻想があり、そのとおりの姿でいることが唯一の正解だと思っていた。小さい人間の、従うべき正解。悪いことはしたかったが、悪人と呼ばれたくはなかった。勝手な話だね。だいたいみんな、勝手なもんだったけどさ。

 

誰それが学校に来ておらず何やら家出したらしい、という噂に相槌を打ちながら、すげえな、と思っていた。周りに迷惑をかけて散々探されて、それでも飛び出すなんてよくそんな大がかりなことが敢行できるな、と素直に尊敬した。決して皮肉ではなく、わたしにはきっとできないだろう、とも思った。つーか帰らないとぶん殴られるのが普通に嫌だった。今思えば心得た殴り方だったしどうせ何回もぶん殴られるからやられとけ、と思う。家出でもなんでもしときな、したかったろ、って。

 

でもそもそも塾もピアノもあったし。行かなきゃいけなかったし。言い訳にできるような予定がわたしの日々には溢れかえっていて、理由にまみれたままで流されることができてしまった。どうしようもなくやることがなかったり、どうしようもなく行き場所を失くすようなことが、あの頃のわたしにはなかったのだ。それはとても幸福なことで、しかし、その幸福の価値はないに等しい。当たり前にあるものを改めて省みるほど、世界に目が慣れていなかった。誰も悪くない。大きい人間から適切に支給された善の感情が、あまりにも当然のものだった、というだけの話。どこに逃げる必要もないのに、なにかから逃げたいと思う。形づくられたこの生活をかなぐり出して走り出したら、変わるなにかがあるのかもしれない。その「なにか」に焦がれて、けれど行動はできないまま、丁度よさそうな理由と目まぐるしい興味の変遷に作用され忘れていく。

それなりに賢く、そしてひどく臆病だったあの頃のわたしへ。あいつは結局、社会科見学に来なかったよ。けど次の週には戻ってくるんだ。なんにもなかったみたいな顔で。

 

 

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