ようこそ拙宅の劇場へ。イラストは2号館へどうぞ。

郵便局(メールフォーム)



いくらでも引けます

何もしないということ

 

一週間ほど、予定をすべて葬った。

 

すると「何もしなくていい日」、というものが生まれる。

何もしない日、ではない。やることがあるのに何もしないと決めた日、ではなく、何もしなくても特段咎められることのない日、だ。この「咎められない」というのがわたしには重要で、結局他からの許しがないとまともに休むこともできない。やだねえ。でも昔からそうなんだよ。困ったことにさ。

 

 

凶器は適当な理由だった。

あるところでは体調が悪く、あるところでは怪我をしていた。多少渋い顔をされるだけで、追及されはしなかった。別に何を言われようが知らない。休まねばならないと思ったので休む、と言ったらみんな、もっと苦い表情をしただろうからな。知ってるぜ。

だれもが明確な診断や証明を求める。必要とする。嘘をついて休むのはいけないことで、なぜなら嘘をつかない人が不利益を被るから。困らせてしまうから。正直なことは誠実さの表れで、人は誠実な相手を信用していたい。信用に値する者が馬鹿を見てはいけない。そりゃそうだ。きちんと組織を回していくためには必要なこと。

でも、納得してくれない人間に律儀な態度でいることは、疲れる。めちゃくちゃに疲れる。言葉が通じないのと一緒だ。向こうに歩み寄る気持ちがない分、下手したらこっちの方が厄介かもしれない。彼らは自分が耐えてきた痛みを、誰もがみな耐えられると信じて疑わない。自分が辛かったことに正しさという理由をつけて、なにがしかの意味を見出す。意味があるから、正しかったことになる。そして正しいことは推奨したくなってしまう。

そもそも全く同じ痛みなどないのだ。あなたとわたしは同じ人間じゃない。感覚には差異がある。

だからわたしは嘘をつきました。隠し通せるよう盤石の態勢を整えて、どうにかこうにかごまかしにかかりました。心の中に築いた砦が壊されないように、気づいたら陥落していたなんてことがないように。つまりは自衛を図ったのだ。すみません、すみません。でも死ぬよりマシでしょう。もとよりたいした信用もないのだから、そんなにダメージもない。もし戻れなくなったら、そっと去ればいいのだ。そんなことで戻れなくなるなら願い下げてやる。ゆったりと流れる時間が、わたしの気を大きくさせていた。空いた穴はいずれ埋まる。軽く傷ついた体組織のように、やがて修復され何もなくなる。忌み嫌ってきたその事実に、救われている自分がいた。

 

虚像のわたしがやさしい嘘により休暇を勝ち取って、わたしのもとへ運ぶ。わたしはそれを享受した。

たったひとり家で過ごす、なにもない時間。なにをしてもいい、どれだけ無為にしてもいい。それが必要で休んだのだから。そのための時間ですから。

ぼんやり絵を描きながら、動画を見たり映画を見たりする。録画したものを消費する。短歌を推敲したり、積んでいた本を読んだりする。楽しい時間は早く過ぎると言うけれど、そうでもない。静かな楽しさは案外ゆったりと過ぎていく。お昼ご飯のためにスープを作りながら、地に足の着いた確かな充足を感じていた。好きなこともろくにできないうちから暮らしのために毎日すり減らすなんて、そんなの最悪だよな。積み重なった不運と不運由来の絶望が、もとから居座っていた憂鬱に拍車をかけてきた。生きてるだけでなんらかの迷惑はかけているわけだし、もう少しの迷惑もご容赦願いたい。

わたしの友人たちはきっと許してくれるけど、関わっていく誰もが友人というわけじゃない。適切に嘘を運用しながら生きよう。最優先事項は心の平安。わたしがいなくても回るものは当然、わたしがいなくても回る。わたしにしかできないことは、待ってもらえばいい。いざその時笑顔で待ってもらえるように、今日もまた見えないものを積み重ね前を向くのだ。今日のわたしは元気だからな。