知育菓子パーティーがしたい
というのはひとり言で、最近作った連作を載せておこうと思う。やっと短歌もこっちでまとめる気になったのだ。インターネットだろうが何だろうが片付けが苦手なわたしにとってこれは躍進である。こんなの生きる意味しかない。えらい。
なんだかんだ3年くらい短歌をやっている。でもまともに連作を作り出したのはちょうどこの3月くらいからだった。まあ高校卒業のムードに流されてやっちまったところは否めない。人はいつだってやっちまう生き物だから。
特段深い感動があったわけでもないけれど、中高六年間を過ごした校舎には無意識のうちに愛着が芽生えていたのだろう。友人、部活、寝心地のいい教室。紙鉄砲で起こされた現代文もいい思い出だ。そう思いたい。
そして三月末に作った虚実ないまぜ卒業連作がこれである。『ステイアローン』
様変わりした部活を──演劇部を、少し、覗きに行ったりもした。
ずっと籍を置いていた場所も、完全に外から見るとまた違った風に見えるのが不思議だった。小さな組織は構成員によって色がすぐに変わる。強い統治がないならなおさら。わたしたちはそういうことを憂えながら、また愛しながら、いくつも芝居をしてきた。確かにここにあり、過ぎ去った日々。思い起こされることを素直に、懐かしい、と思った。
『キャンサーキャンサー』
つまりわたしの生活は、また新たに始まったわけだ。
新たに、とは言っても花開くような明るさはない。すり減る生活を繰り返し、こうやって浪人の体を装いながら身の振り方を考えている。泣くことが増えた。やりたいことってなんだろう。やりたくないことなら山ほどある。在学中にどんな道を選んでも、きっと今後悔していただろう。その確信だけがある。思っていたよりわたしは根暗で、脆弱なのかもしれない。それでも泣けないより泣ける方が幸福だ。なぜならそう思わなきゃやってらんねえからな。
そんな五月にも連作を編んだ。『ピースは光る』
なんとなく、暮らしに根差した歌ばかり詠むうち過ぎた歳月だった(三十一文字)
とめどなく続く生活、際限なく邪魔するリアル。ファンタジーだけをキメていたい。都合いい妄想大歓迎、全身全霊自己投影。まともに踏めない韻はさておき、今日もまた終わっていく。
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「ヤタイマンのたこやきやさん」、あんなに好きだったのにもう売っていなくて悲しい。知育菓子の話です。