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郵便局(メールフォーム)



いくらでも引けます

あなたの推しも輝いている

輝いているのだ

一日十円ずつ貯金をしてきた額が先日、二万円を超えた。我ながら続いた方だと思う。多少の両替を挟みつつもほぼ*1崩さずやってこれた。身体が勝手に十円をキープしておくようにさえなった。染み付いてしまって忘れたままでいたから、急に二万円が出てきたような新鮮さがある。これはお前が貯めた金だぞ。落ち着け。
もともと二万を超えたら使おうと思っていて、さてどうしたものかと考えた時、これまでに例のなかった使い道が浮かんだ。
あの人たちに──あの推しに、会いに行く。
ふと見れば出回っているイベントの情報。そうなんだよ。しかもちょうど行けそうな日付なんだ。逡巡の末わたしは、ローチケのマイページを開いた。




先日、推しに会ってきた。
なおこの推しは実在している。以前の記事と矛盾するようだが、実はその人が「推し」に該当すると気づいたのは最近のことだったりする。
わたしはその人、その人たちのことを静かに応援していた。
存在を知り活動を追い始めてから、常に冷静に、穏やかな心持ちのまま、できる範囲で併走してきた。決して無理なく。息をするように。気づけばそばにあるように。あまりに生活に溶け込んでいたから、それがひとつの推し活であると思い至らなかったのだ。
齢10からオタクとして邁進してきたわたしは、求道者としてまだ青いままだったのだろう。好きな作品および推しと向き合う時、咽び泣くのが当たり前だった。体力を奪われるのは当然のこと。元気な時に向き合うのがジャンルであり推しだった。その元気をチャージする過程に在る存在については深く考えないまま、享受し続けてここまで来たわけである。
しかしこれもまた、推しだ。むしろ推しと言わずして何と言うんだ。そう思うと急に、腑に落ちた。
滂沱の涙とともにあった推しを動の推しとするならば、いわば静の推しである。静の推しはわたしの精神を修復し、現実に向かうだけのエネルギーをくれる。マイナスをゼロにしてくれる。ゼロをプラスにするのが動の推しだが、静の推しがいなくては動の推し活もままならない。
だとしても、いいのだろうか。静の推しに会ってしまっても。その一線を踏み越えた時、わたしは推しを推したままでいられるのだろうか?
一抹の不安を抱えたままのわたしの元へ、当選メールが届いたのだった。


初めて推しに会う。
イベントの前はたいてい吐きそうになる。道中二度ほど嘔吐し、会場のある駅へ降り立った。死にかけている。何も食べられる気がしないので、とりあえずスポドリとラムネを買う。小銭を出す手が震えている。指先が尋常じゃなく冷たい。死にそうだ。
待機列。手のひらに書いた人の字を過剰摂取しながら、呆然と、空を見上げた。
辺りを見渡せば歴戦の猛者たちで溢れ返っている。あの頃のわたしが適切な年齢で稼ぐ手段を持っていたなら、いくらだって遠征しただろう。抽選にも必死になっただろう。そうやって過去のグッズで武装もできただろう。そんな気がしてきた。静の推しが静の推したりえたのは、動の推しとして推すための環境がなかったからなのか。親ぐるみでもない限り幼い子供には挑戦権すらない。時間の自由もさしてない。どう考えたってあの環境でそういう推し方をすることは不可能で、それを受け容れた上でできる範囲の応援をしてきた。それでよかった。充分だった。はずなのに少し、悲しくなる。
これは言い訳なのだろうか。全力で盲目で首ったけな人間に一瞥されたら、引き下がるしかないのだろうか。遠くひそかに応援しそっと元気を受け取っていたわたしの存在など、なくてもいいと一蹴されてしまうものなのか。
目に見える形で応援を示しているのは、確かに素敵なことだ。よほど好きでなければできない。充分すぎるほど推しに時間もお金も費やしてきたということで、その事実はそれだけで価値を持つ。そりゃそうだ。でもこっちを睨まないでくれよな。悲しくなっちゃうだろ。あんたと競うつもりはないんだ。わたしは推しを応援しに来たんだよ。敬意は払う、が、わたしだって等しく、会いに来る権利を手にしたはずだ。だってここにチケットがある。整理番号がある。あるんだ。


正直なところ、記憶はあまりない。


誰よりも美しく、推しの色を。誰よりも、推しの力になるように。
そう思ったことはなかった。ファンという塊の中に埋没して心地良く暮らすので充分だった。実際わたしの友人にも、積極的にイベントには行かない、という人がいたりする。見たくないものまで見てジャンルそのものに幻滅したくないからだと。その気持ちはとてもよくわかる。どう考えても高すぎるペンラのせいで、推しが時折見えない。輝く推しに目を留めてほしくて、こっちを見てほしくて全力になる。おそろしい蹴落とし合いがそこにはあり、勝ち抜こうとあがいた結果、逸脱していく者がいる。どんなジャンルでも、そうなのかもしれないな。いまは何も憎むまい。それほどまでに推しが愛されていることに、ただ、微笑もう。
テンション上げてペンラは下げろ。古より伝わる心得に則り、わたしは推しの色を胸に抱えていた。


至近距離にいる推し。
この人は「推し」なのだ。と、自覚した。
推しは去っていった。よかった、と思った。何がよかったのだろう。何に安堵したのだろう。やさしい麻酔が回ったようで、感覚が浮ついている。愉快な成分が鎮座して、脳がまったりと壊れていく。不思議だ。決してぐったり疲れたわけではないし、根こそぎ持っていかれて空っぽになった風でもない。なんだこれ。
人には人の推し活がある。わたしもこれから、全力になってしまうかもな。気持ちがきちんとあるのなら、怯むのはもったいない。はやく生活を整えて、どこへでも向かいたい。その輝きに導かれて。納得のいくように。
静の推しがにわかに、新たな動の推しへと変わっていく。そんな予感がした。

*1:途中にっちもさっちもいかなくなり2000円くらい使った。もうちょっと使ったかもしれない。まあいいじゃないか