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いくらでも引けます

推しが実在したらつらいだろうな

推しが実在したらつらいだろうなあ

 

じっくり二回言ってしまった。でも最近本当にそう思う。

日頃夢女子やら腐女子やらいろいろやっているけれども、泣きそうになるほど愛おしい推しが実在していたことが今までおそらくない。夢相手が実在していないことに涙を流す夜ばかり過ごし、どうあがいても死に別れる推しカプが現世に転生して幸せに生きていることを願ってばかりいた。わたしにとって現実は、あくまで推しが存在しない世界だった。立体物に興味がないわけじゃない。もちろん心惹かれる方もたくさんいる。ただその「心惹かれる」には制御できない感情もままならない慟哭も含まれてこなかったというだけの話だ。それがなぜかはわからない。でもそうだったのだから、今のところ結果からそう言うしかない。ほんと、なんでだろうねえ。

ある時ふと、思った。推しが実在してしまったらわたしはどうなるんだろう、と。この世界にいない推しを愛するこの気持ちこの情動のままで、推しが実在してしまったら。わたしはどうなってしまうのだろう。身近でも画面の向こうでも、遠くインターネットを隔てていても。確かに実在し、そこで人生を消費し、生きていたら。

 

 

まず、毎日がめちゃくちゃつらくなるに違いない。

だって推しが息をしているんでしょう。つらい。生命活動をしている。ごはんをたべたりねむったりする。生きている。素晴らしい。ありがとう。ありがとう。

「強い感謝と共に湧き上がる吐きそうなほどのつらさ」、覚えのある方も多いかもしれないが、あれを何百倍に濃くしたやつが体内から染み出してくるのだろう。たとえやり過ごしたとしても、自覚するたび再び襲われるに違いない。実在するってすごいことだ。常にフルボイス、フルカラー、一秒ごとに新規絵。供給のスコール。砂漠にいた生き物が急に豪雨に晒されたらどうなるのか。とりあえず状況がよくわからない。降り注ぐこれは一体なんだ? 疑問を抱きながらやがて死ぬ。適応できずにうすらぼんやり笑いながら死んでいく……。

 

そこで笑いながら死なず、なんとか踏ん張ったとして。次に突きつけられるのは、「物理的に近づける可能性がある」ということだ。近づける。物理的に。今すでに書いていてピンと来ていない。推しに近づくってどういうことだ。天に召されるということか?

えらく気持ち悪いことを言っているのはわかっているんですが実在してくれたらそこには体温があるでしょう。推しが温度を伴って存在する。お金を払ったり強い運を発揮したりして懸命な努力と祈りのコンボが効いた時、推しに物理的に近づく権利が得られる。この地球上のすぐ近くに推しの呼気と吸気があり、温度がある、という状態になる。もちろんわたしだけの推しではないしいつだって推しを愛する者の間には悲喜こもごも渦巻いているのだろうが、それでも、より現実的で中毒性の高い夢に近づくことができる。夢。実在する、夢。なんなんだか全然わからないけど万病の薬になるのはわかる。それと同時にタチの悪い毒にもなり得るだろうこともまた。

 

そして好き勝手な妄想は強く強く堅牢な檻の奥に閉ざされた場所で行い、より感覚の近しい同胞のみで過ごすようになるのだろう。ゾーニングの鬼として森にこもったように推しを愛する。つまりより強固なサンタタ案件*1だ。同胞のみが暮らす小さな森の中は楽園の様相を呈している。ためらいなく咽び泣いたり五体投地してもかまわない森がいい。そういう森でしかわたしは、実在する推しを尊ぶことはできない気がするから。ひとりでやっていては身を滅ぼしてしまう。擦り切れてしまう。だって無理じゃん。推しだぞ。推しが今日も生きているんだぞ。鳴かぬ蛍は身を焦がすと言うけれどもあまりの尊さの前に無言になったオタクはすでに静かに死んでいるんだ*2。死骸からは花が咲いてひとりでに実を結び、綿毛が飛ぶようにやがてぽつぽつと話し出す。語彙力は風に乗って消えてしまった。かき消えた言葉でうつろな頭のまま布教を始めたりもするだろう。もう一から説明しないとやってられねえ。そこに座れ。全人類この尊さを知ってください。後生ですから。泣きながらプレゼン資料を作る自分が見えるようだ。完結した作品や更新頻度の低い作品ですら呻きながらプレゼン資料を作って布教しているのに、毎秒新規絵などやられてはたまったものではない。各種SNSやブログを確認して日々情報を入れながら存在に泣く。もう「そこにいる」という事実だけで涙が出てくるようになる。

そして推しの存在は生活の一部となり、全力で血眼になる時期も過ぎて「ああ、元気にやってるなあ」と微笑み日々を送るようになる。時折思い出したように「推しが今日も生きている」という事実を反芻し、あたたかな感謝の念を抱きつつ床につく。穏やかな日々。推しが生きている日々。推しが、存在している、素晴らしき日々

 

今ここまで存在しない自分の推しを現実に当てはめながら勢いだけで書いているのだがわたしの推しも実在する気がしてきた。さっきツイッター見たしブログも見た気がする。新しい告知をリツイートした気がする。楽しくなってきた。まずい。思い込みが最高のシャブであることを忘れていた。わたしが夢相手と同棲している夢女子*3であることも頭から抜け落ちていた。全力で都合よく元気になるのが、わたしの性には合っているようだ。これから何に心奪われるかわからないが、その都度、疲れるほどの激情で推していきたい。これはそのような前向きな決意に至るまでのただの変態じみた妄想過程である。

 

 

*1:「サンは森でわたしはタタラ場で暮らそう案件」。この場合のヤックルは推し本人の言動や動向、つまり揺るがない「公式」に当たる部分だろうが解釈違いはどこにだって存在する気がする。もはやスタンスの文化圏が違う場合もあるから仕方ない。

*2:管理人の場合である。

*3:そのように細かく設定を作って生活することで元気でいられる。寝つきもよくなりなんなら疲れも取れやすい気がする。心配せずとも合法だ。