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いくらでも引けます

祖母と年上の彼氏

ヘルパーさんってまじですごいよな

 

団地住まいの祖母には、年上の彼氏がいる。

 

これだけ書くとニッチな官能小説の書き出しのようだが、まぎれもなくわたしの近くで起こっている出来事だ。

祖母のことは時々歌にしていて、先日入院した時には連作を編んだりもした。基本的に人嫌いで偏屈な人である。加えて異様なほどのせっかちであり、まあよく父に似ている。逆か。父がよく似たのだ。それはもうそっくりに。

 

 

15年ほど前のことだ。

その頃祖母はそこそこ大きな病気をして、病気というかまあ、頭の血管がぷっちんしてしまったのだけど、ちゃんと元気に退院した。何度か遊びに行ったが相変わらず、身の回りのことを自分でこなし、趣味の手芸に勤しむ快活な祖母だった。

しかし独り暮らしに戻ったあたりから、彼氏の影がちらつき始める。

その人は個人タクシーの運転手をしていて、祖母はどこへ行くにもタクシーを使い始めた。徒歩10分もかからない息子の家(わたしの実家)にさえタクシーで来た。お茶しに行くのもタクシー、病院へもタクシー。とにかく決定的に、自分の足で歩かなくなったのだ。

家を訪ねるたび新しくなる掃除機。炊飯器。増えていく最新家電。幼かったわたしが漠然と覚えている光景の数々。言ってしまえば彼氏からの貢ぎ物だ。祖母に自分で積み立ててきたお金はなく、彼女の手元には国のお金しかない。その状態で家電総取り換え祭を行ったり人の家に山のような果物を送りつけたりする余裕はないはずだった。

 

 籠いっぱい葡萄をくれる祖母といた日々 あやまちはあやまちとして

 

やがてしょっちゅう食べ物が届くようになり、それなりに不気味だったことを思い出して詠んだ歌だ。葡萄、食うか。取りに来い。一方的にかかってきては切れる電話。若干の後遺症で滑舌が良くなく、聞き取れないこともあった。それでもダメ元で家に行くと食べ物がある。ですよねー、っていう。あれも食うか、これも食うか。出処のわからない大量の葡萄や桃や干物を、あの頃はよく食べていたものである。おかげさまでしばらく「歳を取ると家にうまいものが湧いてくる」みたいなことを半ば信じていた。だってそう思うしかないじゃん。小学生が精一杯考えた結果だよ。かわいいでしょうが。

それでもまあ、最初のうちはよかった。もともと内向的な人なのでよく喋る相手がいるだけいいじゃないか、と身内みなが静観していた。なにより「自分のことは自分でやっている」「きちんと運動している」「デイケアにきちんと通っている」という話を信用していたのだ。深く訊かれることを嫌う人だったため、その言葉を信じるしかなかったのだ。

 

まあその結果がこれなんですけど、と、祖母宅で思う。

 

軽い怪我が治り退院してすぐ、地域の包括センターから連絡があった。

祖母がデイケアに来ていない。ヘルパーの時間になっても家にいない。一緒に帰ってきた方は身内じゃないですよね?

ソファにふんぞり返る祖母と、従者のようなその彼氏。にれちゃん来てるよ、コーヒー買ってこようか。ああにれちゃんはジュースの方がいいかね。祖母はそれを一瞥し、わたしにお金を渡そうとする。いいからいらないからと押し返すと、もらっておきなさいと神妙な顔で彼氏が言う。いやだってこれあんたの金でしょうよ。あんたが婆ちゃんに渡してんでしょうよ。貢ぎ物流されても使いづらいだけだから。ギリギリ声に出さず、代わりに「本当に大丈夫なんで」と微笑んだ。100点満点だ。

一日中動かない。人を呼びつけて任せる。それに応える人がいる。すっかり女王様だ。

祖母の筋力低下は相当なもので、もう一人で外出はできない。補助付きで外に出ることが推奨されているが、生活に必要なことは彼氏が勝手にこなしてくれてしまう。買い物に行く、電話に代わりに出る、外食に連れ出す。公的料金を勝手に支払う。その他、明らかに身内以外がやったらまずいことも相当やらせていることが判明していた。その度各所を身内が回り謝罪と撤回を繰り返す日々。おかげさまで地域のシニア界隈じゃちょっとした有名人だ。嬉しくねえ。

祖母は何も言わない。話さない。あんなによく喋っていた人が、こんなに静かになってしまうとは。

見渡せば、もうずいぶん掃除をしていないようだった。家で運動ができるようにとわたしたちが贈った健康器具も、部屋の隅で埃をかぶっている。この間掃除補助のヘルパーさんと喧嘩して七味投げつけたりしてたらしいからな。七味を投げるな。七味じゃなくても人にモノ投げるんじゃないよ。危ないから。

というか彼氏さん、うちの父に何回も出禁にされてるはずなのに普通にいるのはなんでなんだ。まさかまた差し入れしてないだろうな。嫌な予感に苛まれ冷蔵庫を開けると何ダースものコーヒーゼリー。マジで言ってる? こんなん無限湧きのザコ敵じゃないか。本体倒さない限り食い物が湧き続ける。その本人が倒せないから困るんだけども。婆ちゃんさ、お医者さんに食べ物のこといろいろ言われてるでしょ。下手に外食べに行ったりしちゃまずいんじゃないの。このゼリーだってそうだけど。

祖母はつぶやく。

「あの人はいい人だから」

何度もその言葉を聞いた。そのいい人は今や身内面で施設に怒鳴り込み、人に金を押し付け返済を迫り、何度も祖母をかわいそうだと言う。旦那に先立たれてかわいそうだ。娘息子に怒鳴られてかわいそうだ。

やがて父が到着し、遅れて父の姉が到着し、わたしの母つまり義娘も登場し、それはもう凄惨な修羅場になった。詳細は割愛するが、父はかなり声を荒げていた。

「よォ、ババア。わかってんだろ。退院する時も散々ゴネてよ。できることは自分でやる、デイケアにもちゃんと行く、ジジイとは会わねえ、その約束で実家戻ってきたんだろ。それが蓋開けたら何だ、昼間からジジイと焼肉行ってよ。ふざけんのも大概にしろ」

「行ってないよ」

「嘘つけ。じゃあそこにある箸袋はなんなんだよ」

「行ってない」

父は強く断定する。祖母は黙る。父の口が悪いのは今に始まったことではないが、昔なら「そんなに肥えてテメエが焼肉になっちゃいますよ」くらいの冗談を言う余裕も見せていたところだ。今となってはこの有様である。あのジジイと付き合い出してから変わったんだ、と父は言う。怒りながら家に帰りダイエットマシンの上で振動しながら

「あのクソ親父がすべて悪い。何もかも悪いんだ。ぶっ殺してやる」

などとのたまう。「ぶっ殺してやる」にかかる美しいビブラート。わたしはそっとリモコンで、振動を最強の設定にした。